息子の不登校までの経緯と原因

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息子はASDとADHDグレーです。

息子は小さいころから、今思うと育てにくい子だったと思います。

当時は男の子だからこんなものなんだろうと思ってた部分と、ADHD(不注意)のグレーかもしれないな・・・と心の片隅に思っている部分もありました。

ただ、周りの男の子たちの話を聞くと似たような子たちが多かったので気のせいだろうと思いたい部分もあったように思います。その後、息子が不登校になり病院へ通うようになってから、ADHDとASDのグレーだということを知ることになりました。

育て難さを感じながらも自由奔放で自分の考えを持っている息子が、小学校というところでちゃんとやっていけるのか、また今の素敵な個性が無くなってしまうのではないか・・・という不安は、実を言うとほんの少し感じていました。

でもその頃の私は学校へ行くのが当たり前という考えでしたので、まあどうにかなるでしょうくらいの気持ちでいました。

目次

癇癪の意味:息子の異変

小学校に入り癇癪が酷くなりました。

きっと色々な変化によるものだったのだと今は思えますが、毎日仕事から帰り娘を見ながら家事をしないといけないなか、宿題で2時間近く癇癪を起こす日々が週の半分程あり、ご飯が作れない日が続きました。

特に学年が変わるタイミングではストレスからか2ヵ月程度、何かと癇癪を起こすことが多かったです。それでも少しずつ少しずつ学年が上がるにつれて息子の癇癪は長さも頻度も減っていきました。

ところが小学4年生になると、いつもと少し様子が違いました。

始めの2ヵ月は癇癪を起こしやすい時期だなと思っていたのですが、その時期を過ぎても癇癪がおさまるどころか酷くなっていったのです。

今思うとストレスが溜まりに溜まっていたのだと思いますが、当時はその考えに至ることが出来ませんでした。

学校への拒否反応と五月雨登校

そんなある日、会社に着いたと同時に

「息子さんが学校に来ていません」

という電話が学校からかかってきました。

一緒に家を出たはずなのに、学校へ行っていないという電話だったので私はとても驚きました。慌てて息子に持たせていたキッズ携帯のGPSを確認してみるとGPSは家を示していました。

私は家に帰りました。息子の部屋に行くと、そこにうずくまっている息子がいたのです。

そしてどうしたの?と聞くと、「学校へ行きたくない」と言ったのです。

当時の私は「学校へ行きたくない」という言葉を、「今日、学校へ行くのが嫌だった」と勝手に都合よく変換していたように思います。学校へ電話し、家にいたことと今日はお休みすることを伝えました。

そして次の日、私はいつものように学校へ行く準備をさせていました。

息子はぐずることなくすんなりと家を出てくれたため、

やっぱり昨日だけのことだったんだ、急に帰ったのは何か嫌なことがあって衝動的に家に帰る行動をしたのだろうと考えました。

でも、息子は学校へ行ったふりをして家に帰っていたのです。学校から電話がかかってきて行っていないことを知りました。

そこで私は息子に、行ける日は行く、行けない日は勝手に帰ってくるのはやめてお母さんに言って欲しいと話しました。そうして五月雨登校となり、2週間後には夏休みへと突入したのでした。

おかか

当時は「行きたくない」という言葉をそのまま受け止められず、あくまで『今日は行きたくないんだ』と思いこもうとしていたように思います。

スクールカウンセラーさんと話をする

夏休みが明けてからは、息子は全く学校へ行かなくなりました。

そこでスクールカウンセラーさんを紹介してもらいました。放課後、学校へ息子と2週間に1度学校へ話をしにいくようになりました。息子は学校へ行くときにみんなに会いたくないと言ったので、時間帯を調整してもらいながらこっそりと忍び込むように学校へ行きました。

3回程度話をしたところで、スクールカウンセラーさんから保健室登校について話がありました。息子が少し興味を示したため、担任の先生と一緒に話をする機会を作りました。

息子は保健室に直接行くのではなく、辛くなったら保健室を利用するという方が良いと話してくれました。

そのため先生と「辛くなったらいつでも保健室に行って良い。でも先生にはちゃんと行くことを伝えてね。」という約束をしました。

息子はその話をした翌日、先生と約束したから」と言い、学校へ行きました。おおらかな性格の息子ですが根は真面目なんだなと思いつつ、学校へ行けることに安堵しました。

私は会社へ出勤する前に息子を学校まで送り届けました。お友達と一緒に学校へ入っていく姿を見てその時はホッとしたように思います。

それから数時間後、学校から電話がかかってきたのです。

「息子さんが脱走しました」という電話でした。

学校を脱走し不登校へ

「息子さんが脱走しました」という電話は、何を言っているのか一瞬理解できませんでした。

それでも息子が家にいると思うことを伝え、帰ることにしました。

家に帰って息子の部屋へ行くと、息子はじっとしていました。そして私を見るなり、わんわん泣き出したのです。

息子が落ち着くのを待ってから話を聞きました。

息子は算数が始まる時間に辛くなり、先生に「保健室に行きたい」と話をしたようです。そうすると先生が「何で保健室に行くんだ!行ってはダメだ!」と怒ったのだそうです。

息子の学校では、算数を学年でクラス分けしており、息子の算数の担当の先生は担任の先生では無かったのです。

息子は「先生に裏切られた」と言って泣きじゃくりました。

私は、なぜ担任の先生は他の先生に共有をしてくれていないのか・・・と、泣きじゃくる息子を胸に抱き、悲しくて悔しくて泣きたくなりました。

それから息子は学校には行かなくなりました。

おかか

当時の息子の気持ちを考えると、本当に辛い気持ちになります。

担任の先生の対応もそうですが、知らなかったとはいえ保健室へ行くことを怒る算数の先生の対応もどうなのかなと思いました。

息子の不登校の原因

既に5年が経ちましたが、はっきりとした不登校の原因はわかりません

ただ息子が脱走して泣いて帰ってきた日、担任の先生に共有をしておいて欲しかったことを伝えると、そうですかという言葉のみでそれ以上何もありませんでした。

謝罪が欲しかったわけではありませんが、息子の気持ちを理解して欲しかったのでとても悲しい気持ちになったことを覚えています。

その後も先生からの連絡は1度しかなく、その1度も「今日、提出の書類が出されていない」という電話のみでした。

その書類は大事な書類でしたが、息子のお友達に託しただけで我が家への連絡は一切なく、提出当日に書類の提出がされていないという電話をかけてこられました。

小4の子供が書類のことを忘れるなんてすぐ想像ができることのように思います。

息子のお友達に大事な書類を託したのであれば、一言私に連絡をしてくれさえすれば直接その子の家に取りに行けますし、もしくは先生の連絡をもらえれば学校へ取りに行くこともできたと思います。

あの日の出来事と、その後の対応で私は、息子には色々なストレスはあっていずれは学校へ行けなくなったかもしれない、けれどその引き金を引いたのは先生なんじゃないか・・・そう思わざるを得ないのでした。

息子が学校へ行かなくなった原因はわかりませんが、学校はみんな同じことをしないといけないし、したくないことを強制される、なぜしないといけないのか聞いても先生は答えてくれないし、トラブルの時も先生は一方的に話を終わらせる、最悪な場所だと言っていました。

先生が全て悪いということではありません。

先生がこのような対応しかできない状況にしている今の教育環境もまた問題なのだと思っています。

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